<朝生サイド>


「お嬢、大丈夫ですか!?」

突然扉が開いたかと思えば、そこからヤスが飛び込んできた。
両膝に手をついて荒くなった呼吸を整えている。

……今度はこいつか。
次から次へと……。

いい加減、役を演じるのも面倒くさくなってきた。
それにヤス程度なら適当にあしらっても気づかないだろう。

さっさと追い返すか。

「ノックもせずに入ってくるとは、そんな教育も受けていないんですか」
「あ、すみません。……って、それどころじゃないんですよ! 朝生さんに何かされませんでしたか!?」
「は……? 私が?」

一体、何のことだ。

「ま、まさか、お嬢から!? ……攻めお嬢か。あ、それはそれで……。ふふ、ふふふふふ」

ヤスは気持ち悪い笑みを浮かべている。

「とにかく、私は忙しいんです。用がないなら出て行ってください」
「え……。あの〜、さっきから気になってたんですけど、どうしたんです?」

呆然としたままこちらを見ている。
まるで、誰かのようだと付け足したかったのか、その口が小さく動いたが声にはなっていなかった。

「前からこのような話し方ですけど?」
「何か、ツンデレ要素が付加されたって言うか……。あ、もしかして、お腹が空いて不機嫌なんですか? よく俺もそんなことあるんですよ。夕飯も出来ていますし一緒に食べましょう」
「ご飯ならここで食べます」
「そんなこと言わずに。だって、ここって朝生さんの部屋ですよ。せめて自分の部屋に戻りましょうよ」

ヤスが笑顔でこちらに近づいてくる。

「私はこの部屋がいいんです」

その顔がぴしゃりと凍り付いた。

「こ、この部屋がいいって言いました?」
「言いました」
「ど、どうしてっすか……?」
「ここが過ごしやすいからに決まっています」
「……つ、つまり、お嬢はこの部屋が大のお気に入り。すなわち、この部屋にいる朝生さんが大好き=二人はらぶらぶ、愛の巣窟」

ぼそぼそと何事かを呟くヤス。
その声は小さくて聞き取れない。

「そ、そういうことっすか。すみませんでした」
「わかればいいですので、消えてください」
「はいっす……。でも、たまには顔出してくださいね。みんなも喜ぶと思いますから」

しょんぼりと肩を落として、ヤスは扉をくぐっていった。


<沙紀サイド>


「おい、お嬢はどうだった?」

やっと龍さんに解放されて食事の席についた頃、龍さんが戻ってきたヤスさんに声をかけた。

「もう、手遅れっす。もう、お嬢の身も心も朝生さんのものだったっす」
「ええっ!?」

どうしてそういう話に!?

「んだと―――――!?」

憤慨する龍さん。
怒りのオーラを纏って一歩また一歩と私に近づいてくる。

「よくも、俺たちが手塩にかけて育ててきたお嬢を……」
「ちょ、ちょっと待って……」

もう、いや―――――!!





どこからか虫の音が聞こえてくる。
窓の外、雲の隙間から丸い月が顔を覗かせている。
何となく外の空気が吸いたくなって廊下を歩いていた。

ふと居間の前を通りかかったとき、中から声が聞こえてきた。

「お前はどう思う?」

なにやら真剣な様子が龍さんの声から伝わってくる。
続いてヤスさんの声がした。

「若頭が言ったときは嘘だって思いましたけど、俺もこの目と耳で見聞きしましたからね」
「反抗期なんでしょうかね?」
「朝生さんも、今日はおかしかったですね。どこか物腰が柔らかいというか……」

山木さんとスミスさんもいるみたい。

「そういや、今日は朝生さんから文句を聞いてないっすね」

思い出したようにヤスさんが呟いた。

「そのかわり、お嬢が……お嬢がやさぐれちまった……。話しかけても、足蹴にされるし。もう、俺、この先、生きていく自信がない。おい、ヤス! 俺はどうすりゃいいんだ!?」
「んな、俺に聞かれても……。ちょ、体、揺さぶらないでくださいよ」
「う、ううっ、ぐすっ……お嬢……」

みんな、ごめんね。
きっと、朝生さんが元に戻る方法を見つけてくれるから。





翌日、体が気持ち悪くて目が覚めた。

ベタベタする。
昨日はお風呂入ってないからなぁ。

そこまで考えてはっとなった。

あのあと気にせずに寝ちゃったけど、まさか朝生さんお風呂に入ってたりしないよね!?

確認するために部屋を飛び出した。
朝生さんの部屋に入ると昨日と同じ姿勢で"私"が本を読んでいた。
寝ていないのか、目にクマができている。

「どうした? 何か用か?」

私の気配に気付いた朝生さんが顔を上げた。

「いいえ、何でもないです」

朝生さんのあんな姿を見てしまっては、私の顔にクマなんか作ってとか、お風呂入ってないですよねとか言えなくなってしまった。

「あとで、何かご飯作って持ってきますね」

この様子だと、ほとんど何も口にしていないだろうし。
私に手伝えるのは、このくらいしかない。

「ああ」

朝生さんは短く返事をした。
再び顔を落として本に集中する。

「それと、ありがとうございます」
「…………」

小さく口を動かしただけで、明確には答えてくれなかった。





その日の午後。
それほど気温が高くないのに暑く感じるのは、昨日から着ているこのスーツが原因だろう。
することもなく、大きなベッドに寝転がった。
見慣れない天井。
内装は私とは好みが違って落ち着かない。

それ以上に気になるのは、ベッドに染み付いた朝生さんが使っている香水の匂い。
この部屋全体から漂ってくるそれは、まるで朝生さんに包まれているようで……。
考えれば考えるほど、イメージが膨らんで心臓の高鳴りが大きくなる。

……落ち着かない。

気分を変えようと、廊下に出た。

「こちら、コードネーム『文豪』。ターゲットが姿を見せました。どうぞ」
「了解。こちらも目視で確認。どうぞ」

何か声が聞こえた?

そう思った次の瞬間には体が前のめりになって倒れた。

「な、何なの?」

よく見ると、廊下の隅から隅に仕掛けられたテグスがきらりと光っていた。

どうしてこんなところに!?

「ふっふっふ。引っかかったな」

廊下の角から姿を現したのは不敵な笑みを浮かべた龍さんだった。

「どうしてこんなことを……」
「どうしてだと!? お前がそれを言うのか!? ずっとお嬢を独り占めしやがって!!」
「……っ!」

面と向かって言われると恥ずかしい。

朝生さんって、確かずっと部屋に篭もってるんだっけ。
龍さんたちからすれば、そう見えるんだ……。

「まさか、靴が一足なくなってたのとか、私だけおかずが少なかったのとかって……」
「そんなことは知らんな」

証拠がないとばかりにすまし顔をする龍さん。

「…………」
「よし、撤収だ!」

龍さんは私が呆然としている間に影から出てきたヤスさんと逃げていった。
口からため息が漏れる。

朝生さんが部屋から出てくる様子はないし。
この調子だと、元に戻らない限りずっと続くのかな。

「それは、嫌だ……」
「何が嫌なんだ?」

振り返ると、そこには"私"が仁王立ちしていた。
その威圧的な姿に、後ずさりした。

部屋から出てきたってことは……。

「もしかして、進展があったんですか!?」
「あったから来たに決まっている。付いてこい」





朝生さんは執務室に戻ると深々と椅子に座った。

「あ、もしかして、元に戻る方法が見つかったんですか?」

しかし、朝生さんは無表情だった。
それが全てを物語っていた。
朝生さんは一呼吸置いて、口を開いた。

「まず、結論から言うとこのような症状を詳しく書いてある書物はなかった」
「つまり、原因不明ってことですよね」
「原因不明ということは、解明する手だてもないということだ。これがどういう意味だかわかるな?」

ずっと、このままってこと……。

「そんな、何も手段がないんですか?」
「ないから言ったんだ」
「方法を考えましょうよ。きっと何かあるはずです! あ、そうだ。もう一回、階段から落ちてみるってのはどうですか? 前に漫画で見たことがあります!」
「……論理的根拠は?」
「うっ……」

朝生さんのいつもと変わらぬ対応に言葉が詰まった。

「ない、です……。けど、何もしなかったらずっとこのままなんですよ! ものは試しです! やってみましょう!」
「お、おい!」

朝生さんの手を掴んで立ち上がらせた。

「可能性よりリスクが高すぎる」
「何もしないと始まりませんよ!」
「く、くそっ! 離せ……!!」

ずるずると朝生さんを引っ張っていく。
今の私の体は朝生さんだから、前よりも力が強い。
朝生さんの抵抗も虚しく、こうなった原因である階段まで辿り着いた。

「やりますよ」
「待て! 早まるな! こんなことをして何になる!?」

どこかで聞いた二時間ドラマのような台詞。
階段の上が崖の上かの違いだと思えば、あながち間違っていないのかもしれない。
私は部屋に帰ろうとする"私"の手を、ずっと離さずに掴んでいる。
力の弱い"私"は逃げるどころか振り解くことすらできない。

「やってみなくちゃわかりません」
「だから、論理的根拠を述べろと……。だいたい、お前は後先を考えずに行動することが多すぎる。そんなことでは、いつか自らの身を破滅させて……」

まだ何か言っている朝生さんをずるずると引きずるようにして階段の傍に立たせた。
こういうときは男の人の体って便利かもしれない。
自分の体を抱き締める妙な感覚。

「おい、何をしている!?」
「飛び降りるんですよ」
「……お前、私の体に入って男らしくなったんじゃないのか」

ぼそぼそと呟いた言葉は私の耳までは届かなかった。

「行きますよ」

階段の下に誰もいないことを確認して、覚悟を決めた。

「ちっ」

舌打ちを合図に、ゆっくりと体を傾ける。
同時に景色が傾いた。




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