<朝生サイド>


沙紀が出て行ったのを確認して頭を抱えた。
ああは言ったものの、戸惑っていないと言えば嘘になる。
これからのことを考えれば考えるほど頭が痛くなってきた。
あいつの顔、服装、体。
そして、石けんの香り。

「違和感ばかりだな」

だが、今は解決策か。

頭に入ってきた雑念を振り払った。
その時、部屋の扉が控えめにノックされた。

「誰だ?」

今はなるべく誰にも会いたくないのだが。

「失礼します」

扉の隙間から顔を覗かせたのは京吾だった。
"私"の顔を見た瞬間、京吾の顔がぱっと明るくなった。

「やっぱり、ここにいたんだ。君の部屋にいなかったからもしかしたらここかなって思ったんだ」

沙紀を捜していたのか?
面倒なことに巻き込まれなければいいが。

京吾は笑みを絶やさずに続ける。

「さっき、耳障りな話し方が聞こえたんだけど、気のせいだったのかな。朝生さんみたいな」
「耳障……!?」

今は沙紀だということを思い出して、口をつぐんだ。

「あれ、どうしたの?」

京吾の口角が微妙に上がった。

こいつ、何か知っているのか?
まさか、あれをどこかで見ていた?
ちっ、だとしたら厄介だな。
京吾は龍たちと違って勘が鋭い。
不本意ではあるがここはこちらから疑惑を与えるべきではないだろう。

なるべく沙紀の口調を思い出して口を開いた。

「気のせい、だと思うよ」

自分で自分が気持ち悪くなってくる。

「あ、そうなんだ。それでね、まだ週明け提出の宿題やってなかったら一緒にやろうかなって」
「宿題?」

まずいな。

さすがにそんな詳細なことは把握できていない。

「あれ? 忘れちゃったの? 数学のやつだよ」
「ああ、そうだったな……よね」

とりあえず話を合わせることにした。
すると、京吾が一瞬だけ目を細め、また笑顔に戻った。

「あ、ごめん。宿題が出てたのって、数学じゃなくって英語だったよ。あはは、勘違いしちゃった」
「…………」

真っ直ぐ見据えられた。

気づいているのか?

「朝、階段から落ちたって聞いたけど大丈夫だった?」
「あ、ああ……うん」
「そうなんだ。心配したんだよ。怪我はなかった?」
「……少し、頭が痛むかな……」

特に怪我をしたところなどない。
京吾をここから追い出すための方便だった。

「そっか。じゃあ、ゆっくりした方がいいね。そんな君に仕事を押しつけるなんて、ほんっとに朝生さんってひどい人だよね」

"ほんっとに"以降を強調されたような気がする。

いいから、早く出て行け!

「あの、私、忙しいから……」
「小泉さんもそう思わない? 好きな人に好きって言えず、意地悪ばっかりしてる。まるで、小学生の男の子だよね」
「何……!?」
「あれ、どうしたの、"小泉さん"?」
「い、いや、うん、何でもないよ」

……こいつ。

こめかみに青筋が浮かび上がるのが自分でもわかった。
だが、限りなく確信に近い可能性で正体を明かすのは得策ではない。
机に置いた拳を跡がつきそうなほどぐっと握り締めて耐えた。

「朝生さんに仕事を休ませてもらえるように言ってきてあげるよ」
「いや、いい! ……から」

自分を落ち着かせ、冷静さを保った。

「そう? でも、きつくなったら休むんだよ?」
「あ……うん。わかった」
「じゃあ、また今度一緒に宿題しようね」

静かな音を立てて、満足そうに京吾が出て行った。

……疲れる。
どうにか乗り切れたが、悠長に考えてはいられないな。


<沙紀サイド>


「あ、ああああああ、朝生! どうしてお前がここに!?」

夕食時。大広間に入ってきた龍さんが驚いた表情をしてこちらを見た。
さっきから気になってたけど、その他の組のみんなも同じような顔をしている。

「ここに食べに来るのは珍しいですね」

と、スミスさん。

そっか、朝生さんって普段は一人で食べてるから……。

「おい、それよりそこはお嬢の席だぞ」

私の隣にある自分の席に座った龍さんが言った。

しまった。いつもの癖で……。

「す、すぐに退きま……退く」
「……!!」

その時、龍さんが驚愕の表情を浮かべた。
その視線の先を辿ると……。

……足?

「あの、何かついてるのか?」
「あ、朝生が、お、女……女座り……」
「……あ」

スーツ姿で両足を横に崩していた。

う……、どう、言い訳すれば……。

「お前、何か変なものでも食ったのか?」
「い、いや、そんなことはないが、寝不足なのかもな」
「?」

曖昧に答えて立ち上がり、山木さんが用意してくれた席に移った。

……つ、疲れる。
心の安まるときがないよ……。

龍さんは私が席に座るまで、ずっと不思議そうな顔をしていた。





「お嬢はどうしたんでしょうね?」
「そういや、今日は朝以降見てねえな」

全員分の配膳を待っている間。
あぐらをかいて畳の上に座る龍さんとヤスさんが話し合っている。

私もあれから見てないな。
きっと朝生さんのことだから、ずっと部屋にこもってるんだろう。

「たぶん、執務室にいるかと……」
「……朝生さん?」

私の発言に首を傾げたのはスミスさんだけ。
龍さんとヤスさんは他のところに反応していた。

「執務室―――――!? ま、まさか、朝からずっと―――――!? い、一体、何をナニして!! このやろう、朝生!!」
「ちょ、落ち着いてください! 若頭!!」

今にもこちらに飛びかかってきそうな龍さんをヤスさんが必死で止めている。
龍さんは鼻息荒くこちらを睨んでいた。

「てめえ、お嬢に手を出したんじゃねえだろうな!?」
「え、私は……俺はどこも触られてないが……」
「お前の事なんて聞いてねえ! んな、お嬢が痴女みたいなことするわけねえだろ! そんなことなら俺がされてえよ!!」
「…………」

……されたいんだ。

龍さんは凍りついたように動きを止めた。

「お、俺は……自分の頭の中とはいえ、神聖なるお嬢を穢してしまった!! ま、まさか、お嬢に聞かれてねえだろうな!?」

……ばっちり聞いてます。

龍さんがわなわなと震えている。

「そ、それより、お嬢が心配だ」
「あ、じゃあ、私……俺が見てくる」

そう言って、大広間を出ようとした。
すると、背中から龍さんの低い声が聞こえてきた。

「……証拠隠滅とは、狡猾だな」
「はい?」

証拠隠滅?
何の?

龍さんの言っている意味がわからない。

「おい、ヤス」
「はい」
「執務室に行って、お嬢が無事か確認してこい」
「ええ〜〜っ。どうして俺が……」

ヤスさんは私が怖いのか、しきりに横目でこちらを確認している。

「俺は、こいつを止める。だから、そのうちにここを突破するんだ」

龍さんの眼光が鋭くなった。

よくわからないけど、こっち見てる……?

「あとは、頼んだ。ヤス」
「へい! 若頭の命、無駄にはしません!!」

ヤスさんがクラウチングスタートのような体勢を取る。
その視線は、私の横の襖を見据えていた。

な、なに? 何なの!?

「うおりゃああああああああああっ!!」

ヤスさんがスタートを切ったと同時に、龍さんが私の前に立ちはだかった。

「きゃあっ!?」
「気持ち悪い声出すんじゃねえ!! ……てか、お前、本当にどうしちまったんだ?」

もう、散々だ。





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