とりあえず砂浜まで戻り、木陰に置かれているベッドの上に寝かせた。
「すみません、先生」
自分の服の一部を破いて濡らしたものをタオル代わりにして先生の額に当てた。
「俺が勝手にやっただけだ。それより、すまないな。お前に朝食の準備を全てさせてしまった」
「こんな時まで、そんな心配しないでください」
ほんとに先生らしい。
「早くここから脱出して診てもらいましょう。だから、先生はそれまでゆっくりと休んでてください」
「だが……」
真剣な眼差しを向けた。
先生は諦めたのか、起こしていた首を倒した。
「ああ。ありがとう」
よほど疲れていたのか、横になった先生はすぐに寝息を立て始めた。
今まで、苦労ばっかしかけさせてきたんだ……。
音を立てないようにして立ち上がった。
よし、今度は私が先生の面倒をみよう!
それから1日経ち、2日経ち先生の容態は悪化していった。
薬品も全くない、頼めるお医者さんもいないこの島で、素人の看病がどれくらい役に立っているだろう。
額に滲み出た先生の汗を拭った。
「これでは、どちらが医者かわからないな」
寝ていると思っていた先生の目が開いた。
「あ、水、飲みますか?」
「いや、大丈夫だ」
「そうですか……」
言葉が続かず、沈黙がその場を支配する。
ぱちぱちというたき火の音。
舞い上がった火の粉が夜空に消えていく。
「こんな目に遭わせて済まないな」
上体を起こして謝罪された。
「そんな、もとはといえば私が悪いんですし……」
私の不注意で海に落ちて、先生を巻き込んで。
その上、私を助けたせいでこんなことになってしまった。
「お前、ここに来てから謝りっぱなしだな」
意外な言葉にきょとんとなった。
「それを言うなら、先生もですよ」
「そうだったか?」
先生が少しだけ口元を緩めた。
それにつられて、強張った表情が柔らかくなった。
「ねえ、先生。もし、無人島に行くのにひとつだけ持っていくとしたら何を持っていきますか?」
「実際、無人島にいるんだが……」
先生が呆れた顔をした。
「まあ、いいじゃないですか。よくある心理テストですよ」
「そうだな……」
夜空を見上げる先生。
次の言葉を待った。
「……チャーミーか……」
「チャーミー!?」
……非常食!?
「お前だな」
先生は視線だけをこちらに向けた。
「わ、私!? 私なんか食べても……おいしくなんか……」
「また、何か勘違いをしているな」
くすっと笑われた。
「お前といれば退屈しない。そう思っただけだ」
「え……」
心臓が早鐘を打つ。
こんなときに不謹慎だと思いながらも、つい嬉しくなってしまった。
先生が私と一緒にいたいって言ってくれるなんて……。
「まあ、うるさすぎるのがたまに難だがな」
「もう! 先生!!」
「まあ、お前の声が聞けると安心する。もう少しくらいならここにいてもいいと思えるくらいにはな」
先生……。
「じゃあ、もっといっぱい話しますね。それに私も……」
「……?」
途中で言葉を飲み込んでしまったので、先生が不思議そうな顔をした。
普段は龍さんたちがいて香織や智たちもいて。
でも、今は先生と二人きり。
少しくらい、大胆になってもいいよね。
勇気を振り絞ってその言葉を口にした。
「私も、先生とならここにいてもいいです。先生が苦しんでて、大変なのはわかってて、こんなこと言うのはダメなことだってわかってるんですけど……」
「小泉……」
「……すみません」
俯いた頭を大きな手で撫でられた。
そこから先生の温もりが伝わってくる。
顔を上げると、先生は微笑んでいた。
「謝る必要がどこにあるんだ? 俺は嬉しかった」
「え、あの、それって……」
「お前と二人というのも、なかなかいいものだな」
頭を撫でてくれていた手が頬に触れる。
反対の手で手を引かれベッドに腰かけると、木が軋む小さな音がした。
すぐ近くに先生の顔がある。
「先生……」
ゆっくりと唇が近づいてくる。
それは光を帯びて艶やかで。
……光?
横からの刺すような光線に目を細めた。
その元からは耳をつんざくほどの大きな声が聞こえてきた。
「お〜〜〜じょ〜〜〜〜う!!」
この声は……。
同時に、大きな汽笛が鳴った。
こちらに真っ直ぐ向かってくる船の先端から、龍さんが大きく手を振っている。
「先生! 助かりましたよ!!」
嬉しさのあまり、さっきまでの雰囲気など消えてしまい、両手で掴んだ先生の手を上下に振った。
「そうだな」
「これで、助かりますね!!」
「ああ。あいかわらず、タイミングは読めないみたいだがな」
「? えっと……?」
「お前は、それでいい」
そう言った先生の横顔は、何だか楽しそうだった。
それから数日。
相変わらず暑い日が続いている。
一時は危なかった先生は、回復傾向に向かっている。
日本に帰ってきてから、先生の診療所にお見舞いに行くのが日課になっていた。
コンコン。
二度、診療所の扉をノックした。
先生には完治するまで仕事はしないという約束をしてもらったので、今は奥の自室にいるはず。
返事など返ってこないと思って、すぐに扉のノブを回した。
でも……。
「先生!?」
指定席に座った白衣姿の先生がいた。
カルテのようなものをぺらぺらとめくっている。
「どうしてそんなとこに、そんな格好で座ってるんですか!?」
「医者だからな」
くるっと椅子を回転させて、先生がこちらを向いた。
「う……、そうですけど、そういう意味じゃなくて……」
「わかっている。しかし、患者は待ってくれないんだ。いつまでも休むわけにはいかないだろう」
「もう、体は大丈夫なんですか?」
「医者だからな。自分の症状くらいはわかる」
そっか。
いつまでも怪我してるわけじゃないし……。
「お見舞いに来るのは今日が最後ですね」
「ああ」
「ここに、お見舞いの品置いておきます。よかったら後で食べてください」
机の上に、フルーツの入ったビニール袋を置いた。
とぼとぼと出口に向かう。
「食べていかないか? 俺一人では食いきれん」
「いいんですか?」
「いいも何も、聞いているのは俺の方だ。まだ、看病をしてもらった礼もしていないしな。何か欲しいものか行きたいところを考えておいてくれ」
「そんな、あれは……」
「まあ、お前が嫌だと言うなら仕方ないな」
歯切れが悪かったのを否定の意味に取られてしまった。
こんなことしてたら、いつまでも前に進めない!
「じゃあ、海に行きたいです!」
元気よく言った。
とたんに先生が嫌そうな顔をした。
「……海。ずっといただろう」
「無人島とは全然違います。楽しく水着で泳ぐんです。ほら、ビーチボールとかボートとか」
私が力説すると、先生はひとつため息をついた。
「行くまでに時間がかかるぞ」
「はい。だから、先生がお休みのときでいいので、朝から遊びに行きましょう」
しばらく先生は考えて、
「……そうだな。楽しみだ」
前の先生なら絶対に言わなかった言葉。
……少しは距離が縮まったのかな?
自然と頬が緩んだ。
「休憩にしようか」
立ち上がった先生の右手には私が持参したフルーツ。
「私が切ってもいいですか?」
「怪我するなよ」
「むっ、私だって無人島生活で少しはできるようになったんですよ。それに、いざとなったらすぐ近くにお医者さんがいます」
「ああ、いつでも診てやる」
微笑む先生と一緒に先生の部屋に入った。
私の恋は始まったばかり。
END
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