昔々、あるところにシンデレラというたいそう可哀想な女の子がおりました。


「まあ、おじょ……あ、違った。シンデレラ! 何なのこの埃は!?」

ヤス継母様が窓の桟に擦りつけた右手の人差し指を見て言った。
その指先には、わずかばかり埃がついている。

「もう、いくら言っても要領が悪いんだから! 私がやっておいてあげるわ!!」
「はぁ……、ありがとうございます」

バケツと雑巾を用意して、入念に窓ふきを始めたヤス継母様。
その隣では、龍姉様が洗い場を眺めていた。

「まあ、シンデレラ! 全く食器が洗えてないじゃないの!」
「すみません、龍姉様。今すぐにでも……」
「仕方がないから私がやってあげるわ!!」
「え、いいですよ……。私がやりますから……」
「だまらっしゃい!! やると言ったら私がやるのよ!!」

龍姉様はスポンジに大量の洗剤をつけて、ごしごしと食器を洗い始めた。

「あ、そんなことしたら……」

見る見るうちに、洗い場が泡だらけになっていく。

「あああああああああ……!」

泡の中から悲鳴だけが聞こえてきた。

大丈夫かな……。
きっと、強靱な肉体が自慢の龍姉様なら大丈夫だよね。
でも、これで窓ふきと皿洗いはしなくもよくなっちゃったし……。
後、残ってる仕事は……。

そう考えて、家の外の干してある洗濯物を取りに行こうとした。
同時に、木製の扉がゆっくりと開いた。

「あら、シンデレラ」
「あ、仁姉様……」

入ってきた仁姉様の手には外に干してあったはずの洗濯物。

「どこかに出かけるなら、夕方までには帰ってくるのよ」
「あ、はい。……じゃなくて、後は私がやりますから、仁姉様こそ出かけてください」

洗濯物を受け取ろうと手を伸ばした。
すると、その分だけ後ずさられる。

「いや、私は洗濯物を畳まなければならないの」
「だーかーら、それは私がやーりーまーすーかーらー!」

仁姉様と持っていたタオルの引っ張り合いが始まった。
ブチブチと繊維が切れるような音がする。

「……シンデレラ」
「何ですか?」
「あなた、洗濯物を畳むのが下手くそでしょう。せっかくの洗い立てに皺をつけられては困るのよ」
「…………」

さらっと言われた衝撃的な一言に、思わずタオルを掴んでいた両手を離した。

「わかればいいわ。あなたは外で遊んできなさい」
「温かい夕飯を用意して待ってますからね」

と、付け加えたのはさっきまで窓をふいていたヤス継母様。

「……いってきます」
「いってらっしゃい! あ、そうだ。今日、お城で舞踏会があるのよ。あなたも一緒に行きましょう」

と、泡だらけの龍姉様に提案された。

「私はいいです……」


優しい継母や姉たちと暮らすシンデレラは、なに不自由なく暮らしておりました。
それはもう、何もしなくていいほどに。
今日も何もすることがなくなったシンデレラは、暇を持て余して広場のベンチで時間を潰すのでした。


「何かお困りの様子だな、お嬢ちゃん」
「あなたは……」
「俺か? ……あ、私は、か。ったく、年取ると物覚えが悪くなんだよなぁ……」

とんがり帽子に真っ黒なマントを羽織った怪しげな人がぼそぼそと呟いた。

「えっと、あの……」
「私は魔女です。あなたをお城にご招待して差し上げます」
「えっ、お城に……? どうしてですか?」
「えっ!? どうしてだと!? えーっと、何だっけかなぁ……。商店街の福引きで当たった、とかじゃねえし……」

魔女が首を捻った。
そして、誤魔化すように笑みを作った。

「まあ、どうでもいいじゃねえか。連れてってやるんだからさ。格好いい王子さんが待ってるぜ」
「はぁ……」
「まずはいっちょ、その服を綺麗にしてやるか」

魔女がステッキを振ると、服が光り輝いて変化した。

「わぁ、なんて素敵な……メイド服!?」

膝上のスカート丈にふりふりのレース。
胸元は見えそうで見えない絶妙な具合。
白と黒のコントラストが目に眩しい。

「ありゃ、気に入らなかったか? 似合うと思ったんだけどな」
「似合うって言ってくれるのは嬉しいんですけど……」
「どうせ、俺はおっさん趣味ですよ……。へいへい」

魔女ががっかりした様子でもう一度ステッキを振ると、メイド服がドレスになった。

「よーし、後は馬車だけだな。ちょっと待ってろよ。今すぐそこのネズミを馬に……。あれ、ネズミ……ネズミ……どこ行ったんだ、あいつ……」

魔女は噴水の影や草木の中を捜している。

「……あの、あれじゃないですか?」
「え?」

指差した先には、ベンチの上に仰向けで眠っている大きなネズミがいた。

「おー、あいつだ、あいつ」

魔女は駆け寄ると、ベンチの上で眠っているネズミの体を揺さぶった。

「……んあ、……なに?」
「……なに? じゃねえよ。さっさと馬になってシンデレラをお城に運んで差し上げろ」
「やだ。めんどくさい」

そう言って、再び、ネズミは寝息を立てた。

「おい、起きろ!」
「……ぐぅ」

もう見てられない。

「あ、あの、私、歩いてお城まで行きます……」

そう言って、小さく片手を上げた。

「お、いいのか? 悪いなぁ。じゃあ、城まではついて行ってやるよ」


馬になったネズミもカボチャの馬車もないシンデレラ。
シンデレラは魔女を引き連れ、徒歩で山の頂上にあるお城までやってきました。



「疲れたなー。やっぱ、この歳で現場ってのは辛いのかねえ」

魔女は肩をならすように回したり、屈伸したりしている。
まるで、準備体操をするスポーツ選手のようだ。

「送ってくれてありがとうございました」
「いや、いいってことよ。また、用があったら声かけてくれよな。あ、十二時になったら魔法が解けるんで、それまでには帰るんだぞー」

腰に手を当てて笑いながら、坂を下っていった。

「ここに、王子様がいるんだ。どんな人なんだろう」

私を見た門番が一礼し、大きな両開きの扉が重たそうな音を立てて開かれた。

綺麗な音色がホール全体を包み込んでいる。
ドレスとタキシードが舞い踊る優雅な空間。

「私、すごく場違いな気がする。……やっぱり、帰ろうかな」
「では、その前に一曲、私と踊っていただけませんか?」

振り向くと、白い衣装を身に纏った綺麗な顔立ちの男性が手を差し伸べていた。

「あなたは……?」
「私は、この国の王子、義之と申します。あなたのような美しい方にお会いできて光栄です」
「えっ、王子様!? そんな方がどうして私に? 周りには綺麗な人がいっぱいいらっしゃるじゃないですか」

そう言うと、王子様の表情が柔らかくなった。

「あなたと踊りたいのです。私では見合いませんでしょうか?」
「そんな、滅相もないです!」

両手をぶんぶんと振った。

「では、お手を……」
「はい……」

その細くしなやかな指先に、そっと手を重ねた。

「ちょーっと待ったああああああああああっ!」
「……え」

向こうからずんずんと足音を立てて近づいてくるのは、

「龍姉様!?」

龍姉様が王子様に向かってびしっと人差し指を突きつけた。

「あなた、うちのかわいいシンデレラに手を出すんじゃありません!!」
「……は?」

瞬間、王子様の顔が不機嫌なものに変わった。

「あの、龍姉様……」
「こんな陰険王子にあなたはあげられません!! 手を握るなんてもってのほかです!!」
「ほう、陰険だと……?」

火花を飛ばす龍姉様と王子様。

「あ、あの、二人とも……」

その迫力にかける言葉を失ってしまった。

「まあ、ほっとけばいいんじゃない?」
「あ、ネズミさん。どうしてこんなところに?」

なぜか、赤絨毯の上にネズミが立っていた。

「腹減った。何かない?」
「料理ならあそこのテーブルに……」

豪勢な西洋料理やワイン、フルーツが並べられているテーブルを指差した。

「……うどん、ないの?」

ネズミが落胆した声を出した。

「さすがにそれは……」
「じゃあ、寝る」

そのまま、ごろんと絨毯の上に寝転がってしまった。

「え、ちょっと……」

体を揺さぶってもびくともしない。

「あ、もうすぐ帰る時間だって、魔女が言ってた」

と、同時に十二時を示す鐘が鳴った。

「そ、そんな……」

まだ、王子様と踊ってないのに……。

「ちゃんと、靴を脱いで行かなきゃだめだよ」

それを最後に、ネズミは寝息を立てた。

「ううっ……」

結局何もしてないけど仕方ないか……。


シンデレラは、未だにケンカしている龍姉様と王子様を背にガラスの靴を落としてお城を出ました。
その翌日、町中は王子様が名もなき美しいお姫様を捜していると大騒ぎになりました。



「あの、これは……?」
「あなたは何も心配しなくて大丈夫よ」

箒を構えた龍姉様が言った。
ヤス継母様も同じようにモップを持っている。
仁姉様は離れたところで洗濯物を畳んでいた。
入り口には家中の家具など移動させて作ったバリケード。
これじゃあ、中に入るどころか外に出ることすら出来ない。

「あなたは私が守ってあげるわ。ガラスの靴なんて履かせない」

ヤス継母様はそう言って、半身を扉に押しつけた。
その光景は、どこかのミリタリー映画のようだ。
と、その時、扉が二回ノックされた。
一気に緊張感が漂う。

「ヤス継母様」
「ええ、わかっていてよ、龍子」

二人は頷きあい、体全体で扉を押さえつけた。
がちゃがちゃと扉を開けようとする音が聞こえるが、びくともしない。
やがて、諦めたのか静かになった。

「……これでよし」

龍姉様が額から流れた汗をぬぐった。

「全然よくないですよ! 話が終わりませんって!」
「そうですよ」

大きな物音と共に、私の言葉に返事をした誰かが窓を勢いよく蹴破って入ってきた。
地面に足を下ろし、ついた埃を手でぱんぱんと払う。

「詰めが甘いですね。入り口だけ固めてシンデレラを守れるとでも思ってたんですか?」

その男の子は爽やかに笑った。

「あ、あの……」
「俺は王子様の命令でこのガラスの靴の持ち主を探しに来たものです。ま、当然あなた様に決まっていますが。……ていうか、あんなのはやめて、俺と結婚しない?」
「ええっ!?」
「終わり方なんて、お前が決めればいいんだよ。従者と駆け落ちってのも、なかなかいいと思うけど」

ぎゅっと王子様の従者に手を握られた。

「そ、そうか。そういうのもありなのか。それなら俺と結婚を――――!!」

突然、龍姉様が叫びだした。

「じゃ、じゃあ、俺も――――!!」

ヤス継母様も続いた。

「まあ、お前たちが参加するなら、俺も参加しないわけにはいかないだろうな」
「仁姉様まで!?」
「じゃあ、俺もいっちょ混ぜてくれや」
「……俺も」

それに、魔女とネズミまで加わった。

「あの……みんな……」

すでに、私の声は届いていないみたい。

「…………」


こうして、シンデレラと継母様たちは末永く幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。







子供たちの笑い声と拍手。
ゆっくりと緞帳が下りた。

やっと、終わったー。
……めちゃくちゃだったけど。

緞帳の向こう側から、まだ子供たちの笑い声が聞こえてくるような気がする。

「やっぱ、劇とは言ってもお嬢を独り占めなんて許せないよなー」

龍さんの言葉にみんなは各々頷いて、舞台を後にしていく。

「まあ、僕はその方がよかったんですけどね」

と、最後に天音君がぼそっと呟いて消えていった。

「お前にしてはまあまあだったな、シンデレラ」

隣にやってきた王子服姿の朝生さんが言った。

「あ、王子様……じゃなくて、朝生さん。せっかく子供たちのためにってやった劇なのに、すみませんでした」

この劇は、朝生さんが経営する幼稚園の子供たちのためにやったものだった。

「どうしてお前が謝るんだ。それに、子供たちもそれなりに楽しんでいたようではあるがな。あんな大人を見習うなという、一種の情操教育だ」
「は、ははは……」
「それに、まだ劇は終わっていないだろう」
「?」
「まだ、最後のシーンが残っている」

朝生さんは、ポケットから綺麗な宝石が付いた指輪を取り出した。
すっと左手を取られる。

「え、でも、この指輪って、本物の……」
「シンデレラ、私と結婚していただけますか?」

真剣な眼差しで、真っ直ぐ見据えられた。
舞台の真ん中。
設置されたライトが、天井から私たち二人だけを照らし出している。

「……朝生さん。あの、これって演技じゃ……」
「演技だったらよかったのか?」

大きく首を左右に振った。

「で、返事は?」

少しだけ不安そうな声。
だから、満面の笑みで、


「はい、王子様。喜んで」


そう答えた。
朝生さんがふっと笑みを零す。
それに答えるように言葉を続けた。

「いっぱい、私を幸せにしてくださいね」
「なかなか面倒くさいシンデレラだな」
「むっ、真っ黒王子様に言われたくないですよ!」


こんな私たちだけど


「お前が耐えきれないほど幸せにしてやる」


今は、とても幸せです。




こうして、シンデレラと王子様は末永く幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。





END


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